

【コメント】
「ほどよくにぎやか」
自分も小学生のときに同じようなことを考えていました。
そしてそれは大人になった今でも、その考えはあまり変わっていないみたいです。(まったく…)
生徒たちが作文を書いていると、ふと静かになる瞬間があります。
そのときの静かさというのは、「静かにしなさい!」と言われて静かになった静かさとも、テストのときの緊張感のある静かさともなんだかちがうようで、「集中したときの音」なのかなと感じます。
本当にふとした瞬間の、自然に生まれた集中の音。さっきまであーだこーだ言っていたのに急に静かになるものだから、見ているこっちは思わず笑ってしまいます。
そんな瞬間が続くと、自分はつい意地悪で話しをしてしまうのですが、誰も聞いちゃいません。しばらくして生徒から「先生の話し誰も聞いてないよ」と言われます。大丈夫、知ってるから。
うるさすぎるのは自分も好きじゃありません。大きな音はけっこう苦手です。
それじゃ、シーンと静かなのが好きなのかと言われたら、そういうわけでもありません。
この生徒が言う「ほどよくにぎやか」。そこにはきっと明るくて楽しい音が流れていそうな気がします。
東京で聞こえる音は少しうるさいと思うって、十分うるさい生徒が言うのだから、きっとうるさいのでしょうね笑 でも、静かな東京というのも心配な気がするので難しいところです。(植田)

【コメント】
「音は料理に使う調味料のように大事な役目を果たしている」、上手な比喩を使いますね。どこで覚えたんですか?笑
美味しい料理には、適度で適切な調味料が使われていて、それは明らかに目に見えるものではないけれど、口に入れたときにははっきりとその存在の大切さを感じられます。
調味料一つで、その料理が引き立つこともあれば、台無しになってしまうこともありますからね。ほんとに…。
もちろん「音」自体が主役になることもありますが、日常に流れている音はそういった「何かを引き立てる」こともある気がします。
改めて「音」というものについて考えさせられる作文だと感じました。(植田)
【総評】
最近、「音って大切」と感じます。
それを感じるのは特に人と会っているときなのですが、お話をさせていただいていて「素敵だな」と感じる方はなんだか落ち着いていて穏やかな音が流れているように感じます。
声の大きさや話し方は、もちろんその大きな要素になっていると思うのですが、なんだかそれだけでもないような。
おそらく、いろいろな経験をなさって一つ自分の「芯」みたいなものがある方は、表情や仕草からもそういう音が滲み出ているのだなと感じました。
反対に内容がない人は、その音が軽いのか言葉を多く使っても胸に響かない。
または派手な物言いで音だけ大きくて、キンキンと騒がしかったり。
後半は「え、自分のこと?」と生徒に言われそうな気がするのでこれ以上は書きませんが、自分も居心地の良い「音」が奏でられるような人になれるようこれからも日々精進していきます。(植田)