量をこなすことについて②

量をこなすことと、才能について思うことの続きです。



写真は自分が練習で使ったクロッキー帳と、その中身です。

ある教本に「手のクロッキーを100枚描けば上手くなる」と書いてあったので(本のタイトルは忘れてしまいました)、自分は1000枚描こうと思いました。

それは、周りに比べて自分がとんでもなく下手で、少しでも上手くなりたかったからです。



実際にそれくらいは描いたのではないかと思います。1000というと一見大きな数に見えますが、1日3つずつ描けば約1年です。








1枚目、2枚目は始めたばかりの時の絵で、3枚目、4枚目は後半に描いた絵です。

今見てもだいぶちがうなと思います。また、ここではわからないちがいは、描き上げる早さです。

最初は1枚描き上げるのに、30分近くかかっていましたが、最後の方は5分くらいになりました。




ただ、ここでお伝えしたいのは、「自分はこれだけやったぜ!すごいだろ!」ということではありません。

これの意味するところは、「これだけやらないと上手くならなかった」という自慢にも何にもならない、量をこなすことでようやく上達したという『才能のなさ』です。



勉強でも、創作についても、「才能」ということにとても敏感になる人が多いと思います。

絵が上手い子、勉強ができる子、そういう子はいます。


ただ、確実に言えるのは「何もやらないで上手くなった人はいない」です。

できる人は、何にもしないでできているように見えて、隠れてやっている。これは絶対。確実に。



才能とか天才というと、数少ない努力で(もしくは何もしないで)、最大限のパフォーマンスを出せる人のように思われているのかなと思います。

だから、いつの時代も「おれは勉強しなくても点数取れる」というのが頭の良い人のように思われているみたいですが、まぁそんなことないです。たまたまです。



たまたまの才能に浸るのも、心地良いかもしれませんが、自分の絵が成長していくのを見て、「成長した」と実感を得られることも楽しいです。

その実感はこれからも何度も経験できることですし、実際に何かの役に立つのはその経験だと思います。




絵を描いていると、どこでも誰かが言い出すのは「才能が〜」という話題だったので、それに触れてみました。

絵ってべつに、才能がなくちゃ描けないものではないし、描いていけないものでもないはずです。


それに今の子たちは、みんな十分上手いです。

少なくとも自分が小さかったときよりは。本当に。

だから自信を持って、と言うわけではないですが、そこまで気にする必要はないです。

描いていればいずれ上手くなるものです。



「いや、描いているのに全然上手くならないんです!」

という方は、ぜひ塾・画塾katariへお越しくださいませ。

もしかしたら上手くなります。(植田)

閲覧数:43回0件のコメント

最新記事

すべて表示

8月が始まって1週間が経ちました。暑い日が続いております。日差しが痛いほどに。 塾katariでも夏期講習が始まっております。 この暑い中、生徒たちは勉強道具を持って来てくれています。 なんだかそれだけですごいなと思っています。 インスタグラムの方で塾の様子をお伝えしておりますが、こちらのブログでは、そちらではお伝えできなかった部分をお伝えするようにしたいと考えております。 生徒たちには、授業中や